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鈴風の物語 その3 柊受難(2/4)

last update Last Updated: 2025-10-22 11:00:43

 しばらくそうして柊の残像に圧倒されたままでいたら、

「ったく。生意気なんだよ。ねえ、風鈴姉さん」

 背中から同意を求める声がした。

声の主は、いつぞや風呂まで押しかけてきて柊を糾弾してやろうとそそのかした露草つゆくさだった。

いつのまにそこにいたのか、あたしと柊の真後ろの鏡台の前にいて、鏡の中からあたしの表情を読み取ろうとしていた。

「まあ、ここの一番なんだからあれくらいじゃないと」

 自分の薄暗い気持ちを見透かされやしないかと咄嗟に答えたけれど、露草の狡猾な目はすでに本心を掴み取られたような気がした。

「でも、癪に触るからイタズラくらいしていいだろ? 風鈴姉さん」

 その時、あたしは露草の毒気にやられてしまっていたのだ。そうでなければ、

「あのご祝儀袋、隠してしまうってのはどうだい?」

 と言われた時、

「そうだね。それくらいなら。でもきっと返すんだよ。いいね」

 なんて言わなかった。

そしてそれが柊のことを向こうの世界に追いやることになってしまうなんて想像もしなかった。

 その夜は満月だった。

さやけき月影が辻沢の街を絹のように包み込み、その魔法のせいで千福楼は悠久の時の中に揺蕩っているかのようだった。

あたしはその乳白色の月光に誘われて窓辺に寄りかかり、中庭に美しい信夫が降り立ちその後、情事に至った全てを思い出していた。

「信夫様のお声がかかる時が参りました」

 突然、人の心に踏み入ってきたのは下世話人げせわにんの赤さんの声だった。

「何と言ったの?」

 虚を突かれ心中を晒してしまった気がして、一旦聞こえなかったふりをした。

「信夫様がお呼びになる頃かと申し上げました」

 信夫があたしを呼んでいる。

その声を思いだすだけで脳髄が痺れるような愉悦の境地へ引き摺り込まれそうになる。

気が遠くなるのを必死で我慢しながら、これだけは確かめたいと思って欄干から身を乗り出して、

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